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1月3日、岡山県都窪郡豊洲村早高79(現倉敷市早高79)に、妹尾彰、梅野の長男として生まれる。父は教職にあり、代々古玩、盆栽、花卉などを愛した家系に生まれたためか、こういうものを非常に愛し、水彩画をよくする。 | ||
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岡山県においては高松農林学校を最後として、父が李朝韓国政府の招聘教官に任ぜられたため、一家をあげて渡韓する。日韓併合(1910年)に伴う前後の政治的動乱は子供心に大いに不安と衝撃を与えたものである。 京城(現ソウル)で小学校・中学校へ通う。中学3年生になると父は目的を定めて上級学校への進学に努力することを命じる。父はよく私を散歩に伴い、後ろからステッキを振りながら、「正彦、背筋を伸ばして真っ直ぐに悠々と闊歩すること。それは散歩だけではない。」といつも言った。「画家になりたい。」と言うと父は「絵描き程むつかしいものはない。一生かかって自分を磨きあげなければならぬものである。しかし、なれれば無冠の帝王でもある。」と答えるのであった。 |
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京城中学校を卒業し、故郷岡山の第六高等学校の理科を受験するが、不合格となる。京都に住む伯父をたよって平安予備校へ通いはじめる。 | |
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神戸高商(現神戸大学経済学部)を受験し、合格する。絵を描くことをはじめる。描くならば油絵を描きたいという願いは高まりながらも、当時画材は非常に高く容易に手がでなかった。その頃、神戸に嶽商店という画材屋があり、店の前に立ち、油絵の道具などをたびたびながめていた。するとある日、その店の主人に声をかけられ、その後道具を月賦払いで手に入れられることとなる。まさに昇天の喜びであり、今日画家たらしめてくれた貴重な助産婦というべきであろう。また同好の友人も出来て、青猫社という会を作り、学内で春秋2回展覧会を開くようになる。 3年生の時、紹介者もないまま、作品を2,3点持ち、芦屋に住む小出楢重を訪ねる。小出は、神戸高商の学生だとわかると「折角金もうけの出来る学校に入りながら絵を描きだして親御はどんなに失望されるか。できることなら、今のうちにやめたほうがいい。」とすすめた。この時程がっかりしたことはなく、ただちに「私に才能がないとおっしゃるのでしょうか。」と尋ねた。小出は「才能などというものは天か神にしかわからぬもので私などが他人の才能を云々する資格はない。絵描きの才能というものは、一生いかなる境遇に在っても死するまで描き続けるか否かによって決まるものである。」と言った。それ以降小出を訪ねることはなかった。 |
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神戸高商を卒業する。損害保険会社(現在の同和火災海上保険の統合前の一社)に就職する。より多くの画材を買い、より旺盛な勉強をするために下宿をやめ、灘駅近くの洋館の三階を借りて自炊を始める。勤め、描くことを漸く軌道に乗せる。 | |
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3月、希望していた東京支店への転勤を命じられる。上京、高円寺25番地三軒長屋の一角を借り、自炊、通勤、描くという生活を始める。東京では、信用をもって絵の具代を貸してくれる画材屋は一軒もなく、この時代は経済的にまた精神的に、最も苦しい時であった。先年結成された1930年協会が第2回展で初めて公募を行い、神戸時代の作品を出品し、2等に入選する。秋の二科展に出品するが落選する。 | 「居留地風景」「気象台の見える風景」(1930年協会第2回展) |
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1930年協会第3回展へ出品し、入選する。「公設市場」がこの年の朝日年鑑に写真版で収録される。二科展に出品し、初入選する。この作品が坂崎坦氏によって朝日新聞紙上で批評される。二科展会場で、神戸時代に訪問した小出楢重氏に出会い激励を受ける。高円寺40番地に転居する。 |
「公設市場」「停車場」 「ブリッジ内部の風景」(1930年協会第3回展)「花屋店頭」(二科展第15回展) |
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父の突然の訃報に接し、京城へ帰省する。二科第16回展に出品して、入選する。宮本三郎、酒本博示、内田巖、田中忠雄、吉井淳二、中村節夫等と交わる。 | 「少女とミシン」「鳥籠のある静物」「魚屋」(1930年協会第4回展)「パンのあるショーウィンドウ」「魚のある静物」(二科第16回展) |
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二科第17回展に入選する。独立美術協会が誕生し、この新団体に出品するようになる。 | 「蝶々の標本と魚」「養鶏家PQ氏」「鶏と石崖」(1930年協会第5回展)「幾何図と金魚と花」(二科第17回展) |
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1月11日、都美術館で第1回独立美術協会展が開催され、出品し、入選する。O氏賞(朝日新聞社編集長緒方竹虎氏の賞である)を受賞する。これより、独立美術協会の成立に伴い、旧1930年協会、旧二科会両出品者である知友9人が集まって同人展九知会を組織する。田中佐一郎、井上長三郎、田中行一、中間冊夫、菊地精二、松島一郎、大野五郎、葛見安次郎とともに9人で第1回展を神田東京堂で開く。しかし、しばらくして田中行一とともにこの会を去る。 | 「白と黄の裸婦」「窓と少女」「鶏卵と男」「海と障子の静物」(第1回独立展) |
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第2回独立美術協会展に出品し、独立賞を受賞する。阿佐ヶ谷4丁目968番地に転居する。9月17日、西垣美津子と結婚する。 | 「雉、蝶、烏賊」「地図と女」(第2回独立展) |
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第3回独立美術協会展に出品し、推薦(翌年無審査出品)となる。 | 「魚ト煉瓦ト海」「赤と黄の裸婦」(第3回独立展) |
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1月、当時二科会会員であった高岡徳太郎がパリ遊学のため、氏が借りていたアトリエをかわりに借りることとし、1月中旬、杉並区成宗1−5に転居する。第4回独立美術協会展に出品する。田中行一、田中佐一郎とともにはじめて一般出品者より、会員に推挙される。 |
「太陽と葱の花」「富士山と紫陽花」「鴨」「梅と少女」 「裸婦・桃・鯉」「花を売る女」(第4回独立展) |
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第5回独立美術協会展に出品する。また会員としてはじめて審査に列する。 |
「鯉と鮨」「砂丘と烏」 「花の馬車」「少女と絨毯」「月・虫・裸婦」「梅」(第5回独立展) |
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第6回独立美術協会展に出品する。 | 「魚・貝・花卉」「春の窓」「夏(ダイビング)」「平和なる風景」「花束の少女」(第6回独立展) |
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第7回独立美術協会展に出品する。昭和9年に起こった出品者不平分子の紛乱は一時おさまったのだが、シュールレアリスムを代表する福沢一郎とフォーヴィスムを代表する里見勝蔵が対立することによって、再び表面化してくる。このことが契機となり、林重義、曽宮一念、伊藤廉、里見勝蔵、田中行一らが独立美術協会を脱退する。1930年協会以来、里見勝蔵に師事するようになっていたため、その関係から、同様に独立美術協会を脱退する。しかしながら、里見が新団体を結成するがこれには加わらず、里見の運動からは離れる。この時より独立美術協会に復帰する昭和26年まで無所属時代が続く。展覧会をすませた後のある日、井の頭を散歩中、偶然現在のアトリエを見つける。所有者を探し、借りることを承諾してもらい、5月23日、転居する。 | 「画室」「青空と卓上」「雪日」「雀の町」「少女と無花果」(第7回独立展) |
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秋、最初に得た損害保険の職場を替える。同じく損害保険の会社であり、戦争に起因して損害を受けた船舶の保険処理にあたるようになる。戦禍は段々と激化してゆくが、絵を描くことは続ける。 | |
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3月24日、母梅野、京城の宅にて逝く。出張中及び敵潜情報により京城に帰り葬に列することができず、母の名である梅野にちなみ、緋梅の樹一株を庭に植える。 | |
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4月末、召集令状を受け、広島へ出発する。8月、広島の大竹海兵団で終戦を迎え、9月、復員する。アトリエも戦禍をまぬがれる。 | |
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戦争末期に兵に執られたことによって残った資料により、日本商船隊終焉の様相を、極めて、数字的に一冊の本にまとめる。この本は損害保険事業研究所より出版され、非常な好評をもって迎えられる。これまで絵を売る生活をしないで、描くために働いてきたわけではあるが、誠実に携わった仕事に対してもささやかな墓碑銘を得られたのである。 | |
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春、丸善画廊に於いて田中行一との二人展を開く。 | |
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中村節也、田中佐一郎、菅野圭介、松島一郎、樋口加六、菊地精二、藤岡一、中間冊夫、田中行一らとともに独立十人の会を結成し、第一回展を資生堂でひらく。これは、この年が独立美術協会創立20周年にあたり、旧会員の回顧出品などを会員復帰の機会とする諸先輩、旧友の友情であり、再び一般出品をし、入選する。会員に復帰する。 | 「氷雨」(旧作「雪日」)(独立20周年記念展) |
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第20回独立美術協会展に出品する。末の妹夫婦が死に孤児となった2人の子供を八方捜索し、鹿児島にいるのを見つけ出し、引き取る。 | 「猫と花火」「憩える旅人」「浦近き町」(第20回独立展) |
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第21回独立美術協会展、独立美術秋期展に出品する。「草上の会話」がサンデー毎日、「馬の窓」が週刊朝日の表紙になる。 | 「草上の会話」「砂丘」「白日中天に在り」(第21回独立展)「馬の窓」(秋期展) |
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第22回独立美術協会展に出品する。 | 「貝殻」「動物の園」(第22回独立展) |
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第23回独立美術協会展に出品する。 | 「聴けや人々、窓外は緑雨なり」「耕して余さず」(第23回独立展) |
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第24回独立美術協会展に出品する。 | 「窓ごしの世界」「自由体操」「西瓜と子供」(第24回独立展) |
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第25回独立美術協会展に出品する。 | 「幸福な家のうえの空」「犬の散歩」(第25回独立展) |
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第26回独立美術協会展に出品する。 | 「愛園のかたつむり」「満月」「馬と虫」(第26回独立展) |
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第27回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「館の雨」「鷹を持つ少年」「水上の魚」(第27回独立展)「少年の孤独」(独立十人の会) |
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第28回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「ここにも争いあり」「幸いな星の下の帽子」「傾斜の街」(第28回独立展)「蕗の薹と瓦など」(独立十人の会) |
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第29回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「星座の下のコマ」「石と葉と雉」(第29回独立展)「古代の顔と朝顔」(独立十人の会) |
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第30回独立美術協会展に出品する。 | 「虫も鳥もそして人も」「海底庭園に蝶々ありき、チョオチョオ魚という」(第30回独立展) |
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第31回独立美術協会展に出品する。 | 「卓上の月」「人々と鳥たち」(第31回独立展) |
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第32回独立美術協会展に出品する。春、妻が病んで御茶ノ水日大病院に入院する。糖尿病であり、これより終生、毎日インシュリンの注射をするようになり、入院退院を繰り返す。 | 「月明の夜を行く子供たち」(第32回独立展) |
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第33回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「椅子と種子と鳥の標本」(第33回独立展)「赤シャツの少年とカミキリ虫」(独立十人の会) |
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第34回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「展覧会の客」「耕して余さず」(第34回独立展)「白鷺」(独立十人の会) |
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第35回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「夜道を行く」「華麗なるテーブル」(第35回独立展)「太陽と群集」「どちらが先に」(独立十人の会) |
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第36回独立美術協会展に出品する。 | 「塀の外に在る荷馬車」「富士のみえる画室」(第36回独立展) |
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第37回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「佛頭を刻す人」「鳶と海」(第37回独立展)「父と娘の肖像」(独立十人の会) |
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第38回独立美術協会展に出品する。独立十人の会に出品する。 | 「池」「巨木に群れる鳥」(第38回独立展)「鶴とどじょう」(独立十人の会) |
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第39回独立美術協会展に出品する。 | 「黒い鳥と白い鳥と海」(第39回独立展) |
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第40回独立美術協会展に出品する。 | 「月と沼と亀」「黄色の絨毯」(第40回独立展) |
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第41回独立美術協会展に出品する。 | 「田園俯瞰」(第41回独立展) |
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第42回独立美術協会展に出品する。12月1日、入院中の妻美津子が突然逝く。 | 「椅子の争、鳥の争、紙凧の争」「赤牛を牽く」(第42回独立展) |
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第43回独立美術協会展に出品する。日本経済新聞・入江相政侍従長の随筆「味のぐるり」(火曜日夕刊に連載)のカットを描くことを侍従長の希望により依頼され、一年十ヶ月にわたって描く。その後、この随筆は単行本として出版される。 | 「龍の敷物」「猫と鳥」(第43回独立展) |
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第44回独立美術協会展に出品する。 | 「博物館の顔」「或る女の肖像」(第44回独立展) |
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第45回独立美術協会展に出品する。日本経済新聞の依頼により歌人木俣修の随筆「飲食有情」(火曜日夕刊に連載)に挿画を描く(一年間)。この随筆は後に単行本として出版される。 | 「石仏供花」「童女像」(第45回独立展) |
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第46回独立美術協会展に出品する。 | 「老人と鷹と少年」「花を採る」(第46回独立展) |
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第47回独立美術協会展に出品する。 | 「みほとけ供養」「魚暦」(第47回独立展) |
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第48回独立美術協会展に出品する。 | 「倉と葱の花」「朝市の籠」(第48回独立展) |
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第49回独立美術協会展に出品する。 | 「星座の下の父と娘の肖像」「連翹の花咲く頃」(第49回独立展) |
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第50回独立美術協会展に出品する。 | 「ガスタンクと渡り鳥」「載花」(第50回独立展) |
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第51回独立美術協会展に出品する。6月5日、次弟のッ(土浦霞ケ浦国立病院副院長)病没する。また、11月6日、末弟の重穂(ニチモウ社長)も病没する。 | 「花の帽子」「猫と桃」(第51回独立展) |
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第52回独立美術協会展に出品する。 | 「黒い絨毯」(第52回独立展) |
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第53回独立美術協会展に出品する。 | 「祖父と孫たち」(第53回独立展) |
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5月、青梅市立美術館において特別展「妹尾正彦画学60年展」が開催される。 第54回独立美術協会展に出品する。 |
「魚と鳥と花」(第54回独立展) |
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第55回記念独立展に出品する。 | 「無題」(第55回記念独立展) |
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第56回独立美術協会展に出品する。 | 「祖父誕生の日」(第56回独立展) |
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第57回独立美術協会展に出品する。 | 「黒い太陽えの驚き」(第57回独立展) |
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7月29日死去。第58回独立美術協会展に遺作が出品される。 | 「瓶花」「貨車の馬と少年」(第58回独立展) |